カテゴリー別アーカイブ: あべの・すみよし名所58選

58 阿倍野区松崎町からやってきた

『安倍寺塔心礎』
西成区岸里東1丁目

天下茶屋公園に元・安倍寺のものと推定されています塔心礎石があります。安倍寺とは古代の豪族安倍氏の氏寺で、阿倍野区松崎町にあったと伝承され、この礎石も松崎町で発掘されたものです。

なお、かつての天王寺村の領域は紀州街道までであり、1925(大正14)年、天王寺村が大阪市に編入された際も街道から東側は住吉区域(住吉区は1943年、阿倍野区・住吉区・東住吉区に分区)でした。(森本)

56 太閤「殿下」の「茶屋」

『天下茶屋跡』
西成区岸里東2丁目

天神の森の直ぐ西側、紀州街道に面して「河内屋」と言う茶屋があり良質の湧き水を使って茶を点て大いに繁盛したそうです。太閤殿下と呼ばれていた秀吉も堺や紀州への往復の途次、立ち寄り喫茶を楽しんだと伝えられ、「殿下の茶屋」と呼ばれ更に天下茶屋に転化したと言われています。その折、八尾出身の河内屋に「芽木」の姓を与えたとの伝承も有ります。芽木家の屋敷は井戸を4つも備えた豪邸でしたが太平洋戦争でほぼ全焼し僅かに北西の一画が残ったのです。(森本)

55 武野紹鷗ゆかりの地

『紹鷗杜』
西成区岸里東2丁目

現在では菅原道真を祀る所から「天神の森」呼ばれる事が多いですが、この地に湧く水を愛で長く住み続けたのが武野紹鴎でした。彼は堺の出身で京に出て歌道・茶道を学び更に禅をも志して出家しましたが茶道の弟子を多く育てました。その中に千利休・今井宗久らもいました。

ところで、「天王寺七名水」が特に有名ですが、上町台地の麓には湧水地がたくさんあったようで、紀州街道沿いにも湧き水や井戸がありました。(森本)

53 松林だった

『阿部野神社』
阿倍野区北畠3丁目

1882(明治15)年に創建された比較的新しい神社です。創建当時は民家も田畑も無い森林地帯だったと伝承されています。阿倍野区西部の上町台地は急斜面で且つ複雑な地形を成していましたので、近代になるまで開発が進まなかったのです。

約7000年前の大阪湾の海面は今より10㍍程高く、海水が上町台地の西斜面を侵食したのであのような地形になったということです。(森本)

52 あとずさりする

『姫松』
阿倍野区北畠2丁目

太田南畝(筆名・蜀山人)は幕臣で狂歌を得意とする戯作者でしたが、任地の大坂で詠んだ歌に「住吉の 新田ふえて 年々に あとずさりする 岸の姫松」が残っています。即ち、北畠・姫松界隈の松林が西の低地の方からどんどん開発され上町台地の尾根に向かって松林が消えて行く様を揶揄したのです。1970年代頃まで、西成区南部に姫松通・岸松通・松原通など松林に因んだ地名もありましたが、現在、全て地名変更されています。残るは上町線の停留所名だけです。府立住吉高校の校舎とグランドの間の道路に在る4本の松は往時の松林の残存樹と推測されています。(森本)