第10話 水源地

阿倍野区の南端に大阪市水道局の住吉配水場があります。あの箇所にはかつて(1950年頃のことですが)高さ4〜5㍍の砂礫の山が有って、雑木や雑草で囲まれていました。更に、道路を隔てた東側にも高さ2㍍程盛り上がった一画があり、そこも雑草や雑木で覆われていました。現在、そこには郵政公社の社宅があります。そして、配水場と社宅の間の道を南に行った突き当たりには西園寺さん(浄土真宗本願寺派)がありますが、あのお寺から西田辺団地にかけての一面は土木工事が中断され放置されて、トロッコのレールなどが錆び付いたまま残っていました。そこは2〜3㍍の台地状の砂山で雑草も少く、しかも囲いも無かったものですから、私たち小学生が遊ぶのには絶好の場所でした。そして、近所の大人たちはこれらの地域一体を「水源地」と呼んでいましたから、小学校低学年の私たちも、水源地の意味が分からず、従って何をするところかも知らないまま、「今日は水源地で遊ぼう。」などと言っていました。
トロッコのレールが残っていた砂山からは遠く臨南寺、国鉄・阪和線、旧長居村の集落などが見渡せました。砂山とそれらの間には遮蔽する物は無く一面の畑でしたから見晴らしが良く、阪和線の電車の通る様も1㎞ほどは離れているのによく見えました。電車のやって来る音で気付き、砂遊びなどの手を止め、見とれたものでした。長居駅と鶴ヶ丘駅の間の線路に沿っても建造物が皆無で(線路向こうの臨南寺が見えていたのですから)、その間を行き来する電車を目で追うことが出来ました。まるで、パノラマを見ているような感じだったのです。又、音と言えば、長居の農家で飼っている牛の鳴き声も聞こえてきました。勿論、和泉山脈や金剛山地の山並みも遠望でき、風景画の格好の題材になりましたから、5,6年生頃の図画の宿題は専ら砂山に出かけ写生したものです。
更に、住吉配水場の場所にあった砂礫の山について話を続けます。実はこの山の東側に一カ所低くなった箇所があり、そこから綺麗な水が流れ出ていました。あたりの農業用水やどぶ川とは全く異なる透明な水で、何時行っても30センチほどの幅で勢いよく流れていました。これがいったい何なのか、不思議でなりませんでしたが、やがて、それが不思議な池から流れ出る水であることを知る機会に恵まれました。
砂礫の山の北側に小さな門が在って、入って直ぐの所に守衛所の様な小さな建物が在りました。そこに住んでいたS氏が実は亡母の遠縁に当たる人だったものですから、ある日父母に連れられ中に入る機会がありました。それまでは雑木や雑草で囲まれた砂礫の山の上部だけを外から見ていたのですが、囲いの中に入って砂礫の山に登ることが出来ました。山に登って分かったのですが、そこには砂礫を堰堤にした大きな池が在りました。それも農業用の溜池のような水草などは全く無く透明な水があふれんばかりに蓄えられていたのでした。不思議な池があるものだな、と小学生の私はただ呆然と見取れるだけで、「水源地」に、即ち上水道に絡ませて考えてみることは出来ませんでした。
確か、小学校の5年生の頃だったと記憶していますが、「阿倍野区播磨町に住吉配水場がようやく完成、市内南部の水道が改善。」といった新聞報道に接しました。工事を中断していた加圧ポンプ場の完成記事でしたが、以後、水道の出具合が良くなりましたし、これで不思議な池の「謎」が解けたのでした。
ところで、住吉配水場を今なお「水源地」と呼ぶ高齢者もいらっしゃいます。長い間工事が中断されていた、その頃の印象が強かったからでしょうか。
住吉配水場
阿倍野区播磨町2−7