第9話 市バスの運賃

 次に、話を進めたいのは、市営交通機関の運賃、特に、市バスの運賃に関わる話です。
話題は二つあるのですが、先ず、小学校2年生の時の失敗談から始めます。
 60年ほど前の事ですが、今なお、あの時のバス中での光景を、鮮明に記憶しています。
 兄と二人で近鉄百貨店へ学習参考書を買いに行った帰りのバスでのことでした。往路は徒歩で、疲れた復路は市バスに乗ったのですが、運賃が値上がりしていたのを全く知らなかったのです。
 播磨町で下車する段になって、お金の足りないことに気付きました。女車掌は詰問するような口調で料金不足を言い立てました。私たちはひたすら頭を垂れて詫び続けましたが、恥ずかしさから、弱々しい声になっていました。今にも泣き出しそうになった、その時、すぐそばにいた小母さんが「私が払ったげるわ。値上がりしてるの知らなかったのでしょう。」と言って不足金を払って下さったのです。私たちは消え入るような声で「有り難うございます。」と言うと、急いでバスを降りました。恥ずかしさと共に、一方、やれやれ助かった、それにしても、世の中には親切な人もおられるなぁ、と言った喜びと驚きを同時に味わったのでした。
 この稿を書くに際し、『市営交通100年の記録』(大阪市交通局編著)に当たってみましたところ、1945(昭和20)年〜1951(昭和26)年の6年間に、7回もの料金改定が行われていました。料金不足事件をしでかした48(昭和23)年のように、年度中に2度、改定された年もありました。当時は猛烈なインフレで、45年の30銭から51年の15円へと上がっていたのです。(いずれも、1区間の運賃。6年で50倍に。即ち、およそ、1年で物価は10倍、上昇していたのです。)15円に改定された51年頃から、経済は安定してきたのでしょう、物価も落ち着き、次に20円に改定されたのは64(昭和39)年のことでした。
約13年間もの間、15円時代があったのですが、
二つ目の話題は、この15円時代の「切符屋さん」のことです。
「切符屋」と言っても、交通局或いはその外郭団体の職員ではなくて、市井のおっちゃん・おばちゃんが勝手に市バス停留所付近で立ち売りしたのです。
 仕掛けは次のようです。15円の乗車券7枚を綴った「回数券」が100円で販売されていました。交通局の各営業所の他に、停留所周辺のタバコ屋・酒屋・文房具店などが委託販売していたのですが、それを仕入れ、ばらして、バスを待っている乗客に売りつけるのです。7枚売れば、5円の利益になった訳です。
 当時、地下鉄はもちろん、市電(路面電車)は天王寺から南には路線を持たず、市南部、とりわけて今の平野区・東住吉区はとても不便な地域で、拡張されたばかりのバス路線が唯一の交通手段でした。国鉄・天王寺駅の周り、具体的に言いますと、天王寺公園の入口前、駅の西側、即ち、阿倍野橋の上、駅の南側は駅舎に沿ってと向側の近鉄デパートの前、これらに10を超すバス・ストップがあり、常に、大勢の人が群がっておりました。そのバス待ちの群衆を掻き分けて、切符屋さんが売って回ったのです。10数人はいたと思います。
 そして、切符を売るだけでなく、地理不案内の乗客に「行先案内」のサービスもしていたのです。客の行先を聞き、その乗り場を案内したのです。事務的な車内放送やコンピュータに依る電光掲示に指図される現在とは違って、行き届いた案内で乗客も頼りにしていたのでしょう、深々と頭を下げていた老人の姿も記憶しています。
天王寺駅界隈を歩きますと、この人情味のある光景を郷愁のような感じで思い出すのです。
参考資料:バス運賃表
      『市営交通100年の記録』(大阪市交通局編著)